【誕生記録④】~その名は子癇発作!こうして私は無事でした編~
~⑩夜明けと陣痛促進剤~
一切進まないお産に、私は心底疲れきっていました。
というかほんとにもう、死ぬ…!拷問…!!
頭も痛いし、目がチカっと。。きっとマンガで書いたら私の頭の周りには、ピヨピヨとひよこが回っている絵が描かれているに違いない。
深夜3時ごろ、耐え切れず看護師さんに泣きつきました。
「どうか、どうかお腹を切ってください…!!アタシもうムリ…!」
必死な形相に多少引きながらも、さすがにこれ以上長引くのは、と判断してくださったのでしょうか。。
「朝になったら看護師が増えるから、そこまで頑張ってムリだったら促進剤打とう。」
そのとき私は思った。
朝って、何時デスカ?具体的に?なんじなんぷんなんびょう地球がなんかいマワッタとき!?!?
そこからのことはあまり覚えていませんが、眠気と痛みのコンボと戦いながら、必死に耐えておりました。。
逆に、ここまで痛くても寝れるって自分すごくね?的な、身体の極みみたいなものに感動しつつ、朝を必死で待ちました。
陣痛室の小窓が徐々に白んでいくのを朦朧とした意識の中見ていたような気がします。
朝までの時間は、今思えば寝ていたからでしょうが、案外あっという間にすぎていきました。
さて、「明けない夜はない」などとはよく言ったもので、果たして私にも朝はやってきました。
7時をすぎ、にわかに騒がしくなった院内で、陣痛促進剤を投与することを告げられます!!!
もう、なんでもいい…!!!!!終わりたい…!!!
震える手で促進剤投与の同意書にサインをした時、初期の陣痛開始から、すでに26時間あまりが経過していたのでした。
~⑪促進剤投与、からの分娩室へ~
促進剤は、状況を見て30分(だったような)おきに投与量を増やしていくという段階方式だと伝えられました。
何を隠そう人生初点滴。
注射大嫌いな私にとって軽く恐怖の対象…
でも、そんな痛み無に感じるくらい、陣痛の痛みが!!はるかに!!強い!!!泣き!!
もう8センチだし、投与しているうちに子宮口も開いて赤ちゃん降りてくるでしょう、ということで、このタイミングで陣痛室から分娩室へ。
結構「分娩室まで行くのがツラすぎた」みたいな話も聞いていたのでビビッていましたが、いざそのタイミングになると、さしてツラくもなく、スタスタ分娩室へ移動しました。スタスタと。
なんならちょっとトイレ行ってきます、イデデ、みたいなのもやってしまうくらい、心に余裕が生まれていました。
もうすぐ終わる~この長い長い旅路が~!!終わりなき旅が~~!!(参考:Mr.Children)
移動してみると、分娩室は、打って変わって手術感溢れる無機質な広い空間でした。
まあ実際ここで血みどろな出産劇がいろいろと繰り広げられるわけなので、陣痛室ばりにファンシーだと困るといえば困るのですが。。
若干ビビる私。広すぎてソワソワする私。眠いダンナ。
よく出産シーンとかで見る、足全開する椅子みたいなやつに座らされ、引き続き陣痛に耐える。
これでご開帳するわけか。。こんなだだっ広いところで。。こんな変な椅子で。。などと、朝の光に目をしょぼつかせながら、妄想していました。
そしていよいよ促進剤の投与が始まりました。
~⑫ブラックアウト…MAJIで倒れる5秒前~
しばらくは大きく状況は変わらず、投与から1時間が経とうとしていました。
しかし、、1番少ない量から、3段階くらいレベルをあげて投与し始めたあたりで、変化が。
痛みが!!!さらに!!!!強い!!!!!アアア!!!
もうそれはそれは出ちゃうんじゃないかと錯覚するほど、強い痛み。頭痛。。
ダンナに対し、ケツ押せや!!!今すぐ押さんかい!!!とオラつき、私はなぜか椅子についていた手すりにしがみつき、シャウト。
もうガマンなんかできません。
絶叫マシンでキャーなんて叫ぶのとは比にならないくらい、もう奥底から湧き出る魂のシャウト。ソウルフルです。
そして、そんなことが何度か続き、間隔が短くなってきたのか、と思った次の瞬間。
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母親・ダンナ・産院の担当医・看護師・その他大勢の見たことない救急隊と思しき方々に取り囲まれ、私は担架に乗ってまさに移動するところでした。
私が目を開けたことで、にわかにざわつく人々。
…は?
「姉ちゃん、うまれたよ!!!」と、母がいう。
…????
…何が?
…ていうか、ワタシ何してたんだっけ???
そして、奥から、看護師さんが肌色のなにかを抱えて持ってきました。
私目がめっちゃ悪いので、全然何にも見えませんでしたちなみに。
そしてそっと肌色さんが横に下ろされる。
アレ!?!?!
赤さん!!!!!
なんで?なんでなんでなんでここにいらっしゃるのか?!
私はいつの間に出産を終えたのでせうか!?(混乱)
正直、混乱しまくっていて、そしてなぜかとてもとても眠くて、この時どうやって赤ちゃんと対面したか、記憶がありません。
が、私はいっちょまえにナデナデしたそうです。
そう。なんと私は、分娩室にて泡吹いて痙攣失神、意識不明のまま、出産を終えていたのでした。。
~⑫その名は子癇発作~
その後、私は当初入院予定だった産院から、救急車で高速をぶっとばし、埼玉の果て(失礼)にあるでっかい大学病院まで運ばれ、MFICUというママンのICUへ、点滴チューブぐるぐる巻きで収容されました。。
ここについては、また追って入院編か何かで簡単にまとめようと思いますので、あえて割愛します。
が、救急車って高速乗るんだナ~とか、ICUって入院できるんだナ~とか、学びになりました。ハイ。
結論から言うと、私は「子癇発作」という、血圧が上がったりすることから発生する痙攣発作を起こしていました。
そう、私の血圧、今まで全く普通値で、問題ないといわれていたのですが、破水したあとから徐々にあがっていたのです。
後々聞いた話によると、陣痛促進剤のレベルを上げた数分後、私はダンナが見ている中、ビクビクと痙攣し泡を吹いてぶっ倒れたそうです。
しかも倒れたタイミングで舌を噛み、口からは血が… (のちのちバッチリ口内炎、というかもうケガになりました。)
たまたま近くにいた看護師さんに、慌ててダンナが通報。
同じく慌てた看護師さんが、大急ぎで当直の先生を呼び、私は超ウルトラ緊急帝王切開となったそうです。
もう緊急すぎて、通常書く必要がある帝王切開の同意書もすっ飛ばし、即全身麻酔で手術となりました。
通常こういう場合、赤ちゃんの心音が低下するなどの心配ごとが併発するそうですが、不幸中の幸いというべきか、赤子はなぜか超絶元気でした。
心音も最後まで一切低下せず、ノートラブルで爆誕。
わが子ながら末恐ろしい。
しかし手術を終え、麻酔の効果が切れたであろう時間になっても私は目を覚ましません。
このまま意識が戻らないか、最悪の場合何か障害が残るかも。。と、旦那は宣告されたそうです。
こええええええ!!!!
こえーよ!!!!
なので、私が目を覚ましたとき、彼は「良かった。。」と言って、シクシク泣いていました。
正直私ってば寝なきゃダメなタイプなのに、出産に伴って数年ぶりにオールしたこともあり、こちとら良く寝たー!!!!って気分だったのですが、、ゴメンネ。
それでも、私はあのときのダンナのぐしゃぐしゃな顔を、一生忘れることはないでしょう。心配かけた。フゥ。
ちなみに、全然記憶にないのですが、後で看護師さんに、
「あのとき、ダンナさんの頭なでて頑張ったね!て言ってて、出産後で大変だったのは奥さんの方だったのに、すごいなって思いました!」
て、言われました。
え、私どんだけ上から目線なんだろう^^
何様なのかナ…
そして、娘がぶっ倒れたと聞いて大慌てでやってきた我が母は、意識を戻すために何でもいいから呼びかけてください!と医療ドラマばりに言われたそうで、ダンナが涙ながらに私の名前を呼ぶ中、
やれ「朝だよ!!!!」やら、
「干し柿ゼリー買ってきたよ!!!!(誕生記録②参照)」やら、
ムードもへったくれもない呼びかけをしていたそうです。
看護師さんも救急隊の方も意味わかんなかったでしょう。ていうか恥ずかしいわ。
でも、その甲斐あって目覚めたワケで、いやはや本当によかったですね。
その日は、麻酔のせいかとにかく眠たくて、赤ちゃんの頭を撫でて寝て、救急車に乗ってるわ~と思ってまた寝て、病院だわ~と思って寝て、MRIの同意書にサインして寝て、ICUに入ってまた寝て、サラリーマン人生で初めて早退したという父親の顔を見て、また寝ました。
今考えると、何もかも人任せな1日でした。
おかげで退院するときは、右も左もわかりませんでした^^ニコ
聞くところによるとこの発作は、妊娠中毒症の方には時折起こるそうですが、今回の私のように健康な妊婦に起こることは相当稀なんだそうです。
みなさんも、妊娠中毒症には気をつけようネ。。
ちなみに退院するとき、あの日あの時担当してくれていた看護師さんに泣かれ、手術してくれた女医さんに「帝王切開する手が震えた」と言われました。
抱きしめたい。
~⑬誕生記録 まとめ~
さて、十人十色な出産エピソードの中でもちょっぴり変わった私のお話でした。
あとでググったら、同じ発作で亡くなった方もいらっしゃるようで、対応次第では私も今この世にいなかったかもしれません。
出産で亡くなった、というニュースを見ると、これはあの時の私だ、と胸が痛くなります。。
立会い出産してもらっていなければ発見されぬまましばし放置されていたかもしれないと思うと、自分はラッキーだったけれど、それ以上にダンナに頭が上がりません。
全国の、仕事が休めないと嘆くダンナさま。
そのお仕事は、あなたの愛する奥さんと、これからうまれてくるお子さんの、命より大切ですか?
全国の、ダンナが立会いなんてできるわけないじゃんという奥さま。
魂をこめて懇願してみましたか?こんな事例もあるのです。不安なことは半分こしませんか?
全国の、出産間近の部下を持つ上司の方々。
部下の方が、一生後悔するようなことのなきよう、どうか背中を押してあげてはいただけませんか?
出産は命がけなのです。
これは、大げさなわけではありません。
どんなに安産な人でも、何が起こるかわかりません。。
なーーんて、言ってみましたが、これは超稀な例らしいので、経産婦さんは読み飛ばしてもらえればいいし、出産間近の妊婦さんはビビる事なく立ち向かってくださればとおもいます!
これにて誕生編、やっと終わりです^^
長々お付き合いいただきありがとうございました~!!
【誕生記録③】~なくならない胎動と恐怖のいきみ逃し~編
まだまだ続く誕生記録。。
なかなかまとまらず申し訳ありません!お付き合いください!
~⑦迫り来るYUTOHAN~
じゃあ一旦帰るね、またなにか変化があったら呼ぶのよ!と、面会時間終了後、旦那が帰宅しました。
※わりと常にオネエ言葉
1人になり、真っ暗な外を見て、さて、、と一息。
え?これここからさらにかかるの?マジ?
なんかめっちゃシーンとしてるんですけど~!ヤダ~どんだけ~!?
そんな中、ズーンズーンと、少しずつ陣痛は重くなってきていました。
間隔をアプリで測ったりしていたのですが、もはや、このころには横になって1人「フシュウウゥ…」という奇妙な吐息を吐かないと、己を保てなくなるほど。
カーテン越しに寝ていた方が、どんな方だったのか、結局わからずじまいでしたが、きっとホラーもしくはSF的なあれを感じたに違いありません。
その節はゴメンナサイ。
それでも時々覗きにはきてくださる看護師さんと、
「まだ余裕ギリありそうだねっ♪」
「…(無)」
という無益な会話を繰り広げながらただひたすら耐えていました。
果たして、旦那が去って1時間後…!
子宮口の開き具合を確認にきた看護師さんが、
「5センチくらいにはなってきたから、陣痛室で!旦那さん、さっき帰ったばっかで申し訳ないけど呼べる?」と!
ワーイとりあえず個室にいける!
お隣さんを気にせず呻ける!
もう、痛いとかじゃなくて移動したすぎて、スタスタ廊下を歩きました。それはもうスタスタと。
そして振り回されまくった我が夫はまた、パンダがめっちゃ走ってるスタンプを送ってきたのでした。
~⑧なくならん胎動★妊娠あるある崩壊その2~
陣痛室という、自動ドアと分厚いドアの二枚の壁に阻まれたその部屋は、想像していたよりわりと小さく、わりとファンシーでした(壁紙が)。
そしてパンダのスタンプから数分後、夜道を車でぶっ飛ばしてきた旦那がまたしても汗だくになって到着。
時間は夜22時を回るころ。
いよいよもって激しくなる陣痛の痛み^^ニコ
しかしここでも、話が違うじゃねえか!!!案件が勃発。
「お産が近くなると胎動ってなくなるのよ~まだ動いてるってこたぁアナタの出産はまだねオホホ」
と、予定日近辺にいろんなマダムから言われていたワタシですが、
めっちゃ動き回ってる!!!!
クッソ動いてるようちの子!!!え!?まだ産まれないつもりなの!?
確かに少しずつ胎動の位置は下がってきているような気がするのですが、これがまた陣痛とあいまってめっちゃ痛い。
腹が破れるんじゃないかと思ったくらいです。
ていうか今考えると、狭くてホントやだったんだろうな~
今もかぶせる服とか脱がせようとするとめっちゃ泣いて暴れるんですわ。イーーー!!!て顔して。
そして、股にズンドコ頭突きしているのがわかるくらい、動く、動く、動く。。
以前読んだ東村アキコ先生の育児マンガで、たとえるならば鬼の金棒を子宮の中でグーリグーリまわされてるみたいって言っていたけれども。。
さすが漫画家だよ!!!
他のどんな表現よりしっくりくるよ!!
てか世間一般では「鼻からスイカ出すくらい痛い」とかいうけどサ、鼻からスイカ出したことないから全然わかんないよ!!!
そんなこんなで、日付が変わるころには、子宮口もなんとか8センチくらいに到達し、もう痛すぎて意味わからなくなっていました。
腰が割れる!!腹が痛い!!うおあおおおお!!
「姉ちゃん絶対ギャーとか痛いとか叫ぶよね、まじうっさそう」
などとキャワイイ妹に里帰り中に散々言われていたので、絶対に我慢しきってやるなんて思っていたのですが、、、
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
と呪音さながら椅子にしがみつき、夫にドン引きされていたのでした。
~⑨恐怖のいきみ逃し~
出産を経験した妊婦が口をそろえて言うこと、それは、
「いきみ逃しが一番ツラかった。。」
いきみ逃し=子宮口が最大サイズ(10cmらしい)にならないと、赤子の頭で股が裂けるので、いきまずに耐えること☆
諸説ありますが、超便秘だった後のウンチ(失礼)がでそうなのを我慢するような、とにかく何かが出そうなのを必死で耐えるという状況です。
皆さん硬式テニスボールや握りこぶしなんかでオシリを押してもらったりして、何とか耐えるとか…
これ、聞くのと実際経験するのとではえっらい違いでした。
痛いし、股になんか迫ってくるし、ガマンの仕方わかんないし。。
もう、テニスボールなんかじゃワタシだめでした。
途中まではテニスボールで、ダンナ相手に
「押して押して押してエエエェェ!!!!!」
と絶叫していたのですが、
「グーで押して!!弱い!強く!もっと強く!!!!」
とスポ根マンガのコーチばりに叫び、最終的にはもう足りなさ過ぎて、己の全体重をかけ、テニスボールの上に座っていました。
もうほんと途中何度も挫けそうになり、もう股くらい裂けてもいんじゃね?くれてやらァ!!的な思想になっていましたが、
「赤ちゃんの頭にコブができてるからね〜いきまないようにね〜」
?!?!!?
コブ?!?!!!
怖!!!!!!
想像しましたコブつけてうまれてくるとこ。
いくらユーモアがある生まれ方とはいえ、さすがに哀れ…!
なので仕方なく耐えます。。スポ根ばりに耐えます。。
そうして8cmから一向に先に進まないお産に、私は心身共に疲弊してゆきました。
22時から、夜は更け、深夜になっても痛みは増すものの出てくる兆しはありません…
そのころは、もうウトウトしては痛みで目覚め、ウトウトしてはまた目覚め、、を繰り返していました。
(ダンナはコーヒー片手に眠気と戦っていた)
正直、「立会いってしてもらってもイラつくだけだよ~」なんていう話も聞いていたので、そこまで期待していたわけではありませんでした。
が、ダンナきっての希望により、立会いをしてもらうことに。
結構看護師さん・助産師さんは30分おきくらいにしか状況を見に来てくれないので、この深夜の時間帯、とても心強かったことを覚えています。
そして、精神面だけでなく身体面でも、彼が来てくれたことはここから先、非常に大きい影響を与えるのです…!
~続く~
(ごめんなさい)
【誕生記録②】~あがる血圧と東北新幹線…入院は突然に~編
こんにちは。ざきです。
~続く~
とかやっときながら、前回の続きからかなり空いてしまいました!テヘ!!
ちょっと怒涛の出産編、しつこくも続きます…☆
~③待ちに待ちに待ちに待った入院!!~
さて、前回の記事に書いた通り、深夜2時から原因不明の腹痛に襲われた私は、朝9時半にチョロっと、さながら尿漏れのような症状に見舞われました。
病院に電話すると、「とりあえず来てください」とのこと。
善は急げとばかりに、母に運転してもらい病院へ…
そして。相変わらず容赦ない美人女医に股をこじ開けられ(失礼)、
「あ、破水してるね~アハッ、入院で!☆」
軽~く入院が決まりました。
予定日をまさに1週間経過したところで、もう重くて重くてほんとにさっさと出してしまいたかった私は完全にハイになり、「陣痛キタァァ!!ヒャッハー!!!!」というラインを家族に送ったのでした。
これが地獄の始まりとも知らずに。。。
~④初めての入院★なぜか上がる血圧、有能な東北新幹線~
果たして案内されたのは、夢の相部屋。
面会時間が14時からということで、母は一旦退場。
出産予定の病院は、老舗なのだけどもリニューアルしてブランド病院になってしまった浦和界隈ではかなり有名な産婦人科です。
すなわち結構いいお値段するのです。
なので大部屋に通された私は安心しておりました。
とはいえ、相部屋は結構狭い。
カーテンで隣とは仕切られていて、プライベート空間は確保できるものの、なんだか他人行儀なかんじで寂しい。
これからしばらくこの閉鎖的な空間にいることになるのか。。しかもなんか暑い。。
新生児仕様なのか、暖房ガンガンで目もシパシパ。。
小さいころからわりと健康優良児なわたし。
入院なんてした事ありません。ドキドキ。
普段慣れない病院のニオイもあいまって、図太いワタクシも少し緊張してまいりました。
とりあえず、当時岩手は盛岡市にて、今か今かと吉報を待っていた我が夫に、入院する旨を連絡。
即既読がつき、パンダがダッシュしているスタンプが送られてきた数分後、「職場出た!!13時半にはつく!」との連絡…(※そのやりとりをしている段階で時刻は11時)
はえーよ!!!
早すぎだよアンタ!!
さすが東北新幹線であります。
さて、そんなこんなしているうちに、血圧測定のお時間。
しかし、過去一度も引っかかった事がない優良児だったにも関わらず、なぜか高めの結果に…
痛みにめっぽう弱い私は、看護師さんとの協議の結果、まぁたぶん陣痛のせいだろうということになり、とりあえず運ばれてきたランチをおいしくいただきました。
~⑤あっという間の面会時間と干し柿ゼリー~
そんなこんなで、11時に入院したものの、あっと言う間に面会時間になりました。
近所にあるお菓子屋さんでいろいろ買い込んだらしい母が、大量の袋をガサガサさせて登場。恥ずかしい。
干し柿ゼリーっていう、干し柿の味の寒天みたいなやつがあるんですが、私にはそれを買ってきてくれました。
でも一応病院だし、出産後にとっとくかということで、ご褒美としてセーブ。
そんなこんなで、11月の木枯らしが吹く中汗だくの旦那が到着。
聞けば、職場の同僚・上司の方も、一緒にソワソワしてくださっており、
「嫁が破水したらしいですわ!!!(ニヤニヤ)」
という旦那の一言に、周りの方が、
「バッカヤロー!ニヤついてる場合じゃねえ!今すぐ行け!」
と追い出してくださったそうです。(やや誇張表現アリ)
なんならPCも勝手にシャットアウトされ、退勤簿も書き込んでくださり、新幹線の時間もこれに乗れ!と調べてくれ、、本当に良い同僚の方々。。涙
ちなみに旦那がニヤついているのはデフォルトで、生まれつきそういう顔なんで仕方ありません。
そんな中、私の陣痛は少しずつ強くなってきていました。
旦那とくだらん話をしながら、突如やってくる痛みにイテテ…と横になる繰り返し。
でもまぁまだ生理痛くらいの痛みか。耐えようとと思えば、耐えられる。
運ばれてきた夕食も、まぁ休み休み、あまり食欲はないながらも食べられる。
息を止めて耐えないと、痛みの波が超えられなくなってきたのは、面会時間終了目前の20時ごろでした。。
~⑥話が違うじゃねえか!!!!そのいち~
そんなこんなで早朝から20時頃まで、じわじわと陣痛が来ていたのですが、
全 然 間 隔 が 一 定 に な ら ん!
10分から5分、5分から3分間隔で徐々に短くなって、お子が出てくる…という予備知識だけは持っていた私ですが、陣痛開始とおぼしき深夜2時からすでに16時間あまりが経過していました。
いまだ5分間隔できたと思えば、3分間隔になり、そうかと思えば10分間隔になり、、、
話が違うじゃねえか!!!
入院したあたりで「お腹下がってきてますね!」なんて言われたもんだから、かなり期待しちゃってました。
そして「結構まだ余裕ありそうですねー★」と、イテテテとなっているわたしに言い放ち去ってゆく看護師さん。
え~これで余裕あるとか、ピーク時どうなっちゃうの?^^キャハハ
なんて思っていたら、「面会時間おわりなんで、旦那さん一回帰りましょうか」といわれちゃいました。
産まれそうなのに。。産まれない。。
急いできてもらったのに、産まれない。。
痛いのに、まだピークじゃナイ。。
ナイナイナイ。。。(自粛)
ていうかこれ、いつまでつづくのかしら。。
ていうか初めての入院、痛いし、狭いし、寂しい。。
と、思ったことをうっすらと覚えています。
今思うとなんと甘っちょろい。。
ワタシの出産は、ここでやっと折り返し地点、むしろ折り返し地点にもこれていなかったくらいの長丁場になっていくのでした。。涙
次でおわりたいナ★
~続く~
【誕生記録①】~予定日超過★下がらないお腹と高まる胎動~編
こんにちは、母です。
今日から、忘備録的な感じで、3か月前我が息子、ゆとはんを産み落とした(正確には腹を掻っ捌いてでてきたのですが)時のことをつらつら書いていこうと思います。
というか、同じ事が起こったときに、何かのご縁があってここにたどり着いた方がブログを読んでいたことによって少しでも知識があったらいいなとか思っております。はい。
とりあえずこの①には、入院するまでの記録を書いていきます。
~①下がらないお腹となくならない胎動~
時はさかのぼり、2016年11月、ゆとはんの予定日は2日。
しかし、案の定というかなんというか、いつまでたっても出てきません。
縁あってその前年に我々夫妻は盛岡に転勤していたため、埼玉出身のわたしは里帰っていたのですが、予定日付近に休みを取ってゆとはん誕生に立ち会おうと意気込んでいた我が夫は哀れUターン。。
会う人会う人、「腹デカッ!!!」と言われ、
事実私の腹はさながらスイカのようにドデーンと膨らんでおりました。
そして連日悩まされる激しめの胎動…
これまた触った人が「気持ち悪っ!!!!」と引くほどあらゆるところでボンボコ動いておりました。
「グエッ!」と漫画のように叫んだ事もしばしば。
お腹の形は変わるほど。
予定日前はおなか下がってくるとか言うけれども一向に下がらない腹。
予定日近辺は胎動減るとか聞くけれども一向に減らない胎動。
この男は、果たしてこの世に出てくる気があるのだろうか…
なんてことを思いながら、何故か一度も見た事のないブリジットジョーンズの最新エピソードを映画館で見たり、鳥しかいない謎の自称"動物園"に行ったり、やたら駅から遠いオシャレキャフェに行ったり、もはやこのまま一生妊婦なのではないかと錯覚するくらい、予定日を過ぎた1週間を悶々と、しかしそれなりに陽気に過ごしていたわけでございます。
②~その日は突然に~
そんな11/8の深夜2時。
…おや…?腹が痛い…ような気がする…
いつもと違う痛みで目が覚めました。
あえて例えるならば、10~15分間隔でグーッと股に何かを押し付けられているような痛み。
いやしかし落ち着こう。そんな突如出てくることはないと、興味本位かつノリで1冊だけ買ったたまごクラブの別冊「陣痛乗り切りブック(笑)」とやらに書いてあったではないか。
ここで慌てては、腹の赤子の思うツボであります。
そんなわけで、かねてからインストールしておいた陣痛カウントアプリをついに起動…!
そう、この時の私はまさに準備万端、というかハイ待ってましたァ!!状態でありました。
しかし、間隔をはかるもウトウトしながら空は明るくなり、気づけば朝7時頃まで痛みは続きます。
よく、「陣痛は等間隔できて、だんだん間隔が狭まってくる」と言いますよな。
わたしも件の「乗り切りブック」なぞ熟読し、それをすっかり信じていたわけですが、言いたいです。声を大にして。
…嘘じゃねえか!!…と。
なんということでしょう、私は深夜2時から、ある時は10分間隔、またあるときは20分間隔、またあるときは驚きの1分間隔でイテテテテ…なぞとやっていたわけであります。
ちなみに、「お産の直前になったらそうはいっても間隔狭まってくるんじゃないの~?」とお思いかもしれませんが、ワタクシ最後の最後まで一切等間隔になりませんでした。
詳しくは、追って書こうとおもいますが。
さて、そんなこんなで動きがあったのは9時半頃。
いずれにせよその日は午後から検診だった為、母に念のため荷物まとめとけよ、と言われているのにゴロゴロしていたその時。
チョロッ…
…?ん?
なんか出た!!!!
尿漏れか、はたまた破水というやつなのか、よくわからずとりあえず産院へ連絡…
とりあえず来てくださいとの事で、無駄に準備だけしてあった入院バッグを持って向かいます。
長かった…!やっとこの重くてダルい妊婦生活に終止符を打てる…!
その時の私は、己の祖母や母から間違いなく安産の血を受け継いでいると、思い込んでいたのであります。。。
~続く~
はじめまして
はじめまして!母です。
このたびブログをはじめてみました。
生後3ヶ月をすぎ振り返ってみると、丸2日陣痛に苦しみ、からの産院市場稀に見る難産、そこからはじまるめくるめく乳頭混乱の日々、身長が無駄に伸びすぎて入らない肌着たち、エブリデイ黄昏泣き、腹止まらない腹ペコ、出ない母乳、、、
わたくし正直申し上げまして、
育 児 な め て ま し た!!!
いや〜、妊婦だったときは、なぜか己が間違いなしの股から安産だと信じており、母乳は産んだら出ると思っていました滝のように。
このブログは、そんなわたしがお子☆ゆとはんに翻弄されまくっている日々を綴りながら、客観視して落ち着こうという、そんなブログでございます。
というわけではじまりはじまり(*´∀`)